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自己紹介

簡単な職歴

名前 安藤忠浩

年齢 50代のバブル世代

大学 京都の私立の大学

留学先 Chester in England, San Paulo in Brazil

職歴 大学生の頃は公文式で教えていました。イギリス留学後に、大学新卒の海外要員としてメーカーに採用されて、工場内の機器設備の設置やトロール漁船の建造でアメリカに駐在して、その後、ブラジルに留学しました。

転職後ラオスに駐在し、輸出入関連の業務やフローリングの生産管理に携わり、品質管理や在庫管理を学びました。社会人になってから、数年間ほど日本にいた時に、漢検の試験官やポルトガル語の通訳などをしていたこともあります。

バンコクでは、4年間ほどコンピュータシステムの営業の代行業務に専念して、タイ全土に散らばる日系企業の市場を開拓しながら、大企業を含め多くの企業との取引に成功しました。工場内の生産管理について、詳しく勉強することができました。

2003年に家庭教師を始め、2010年前後に主にインター生を対象として、家庭教師のウエブサイトを立ち上げました。バンコクのインター校の紹介から、レベルの高いインター校へ転校するために、大幅に語学力を向上させる、インター生のための英語を教えています。

日本を離れた理由

高校生の頃に終電に乗り合わせた、当時の中年男性の疲れ果てて眠りこける姿を見て、日本では定年まで、こんなにぼろぼろになるまで、毎日会社で働かされるのかと思いました。

留学や駐在でアフリカ大陸と南極大陸を除き、すべての大陸に住むことになり、英語とポルトガル語に堪能になりましたが、日本人のサラリーマンとして、サービス残業にどっぷり浸る人生に、疑問を持ち始めました。

アメリカ人やヨーロッパ人は残業なんてしません。日本人だけがどうしてここまで、精神的に追い込まれなければならないのか、考えさせられました。そして、海外への移住を決意して、双子の弟共々若い頃に、日本を離れました。

心や時間にゆとりのない生活を続けることに、拒否反応が出ていました。早々と海外に移住したのは、今でも正解だったと思います。誰かに導かれるような、迅速な決断がこの身を救ってくれました。

海外での生活

英語に問題がないので、暇な時間を利用して情報工学、つまり、ウエブサイト開発制作及びデータベース構築のためのコンピュータ言語をネット上で無料で学ぶことができました。

最近はIGCSE Biologyを趣味で学んでいます。生徒に上手く教えるための、予習としても役立ちます。興味のあることをマイペースで学べるので、毎日が充実しています。

バンコクで家庭教師を始めて長年が過ぎ、多くの優秀な生徒を育てることができました。また、助け合う仲間、家庭教師の同僚も増えました。自分の好きなことをして、生計が成り立つ環境を、心から有難く感じています。

特定の塾にお世話になっているわけでもなく、独立した家庭教師として、一日の中で拘束される時間が少ないので、目的に応じた家庭教師の紹介、インター校訪問の予約のサービス、小動物の保護など、余った時間をボランティア活動などに使うことができます。

また、タイへの移住や長期滞在に関するご相談も増えてきました。イミグレーションでの各種ビザの申請やタイの運転免許書の切り替えなどですが、海外で30年ほど生活してきた経験を用いて、必要な書類の作成及び申請方法なども同様に、ボランティア活動としてアドバイスしています。

関係者に考慮し一部固有名詞を仮名、抽象化しています。

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